会長よりご挨拶
今からちょうど70年前の1955年5月7日、東京有楽町の国策ビルにあった森林資源総合対策協議会(林総協)会議室で、林業経済研究会創立総会と第1回研究会が開催されました。対日平和条約が発効し、日本が独立を回復してから、やっと3年が過ぎたばかりのころです。出席者は25人。「林業経済の発展を目的とする研究者の組織の必要性」を旗印に、主に東京近郊の大学、研究機関、行政の若手が集まりました。第1回研究会の報告題目は「林業技術普及事業の経済的目的」。当時、国立林業試験場研究員で、のちに愛媛大学教授を務めた松島良雄氏が報告しました。1956年からは春季大会、1958年からは秋季中集会が始まります。
それから5年間、研究会は月例会と称し、ほぼ毎月開催されました。会員は東京近郊から日本各地へと広がり、100人ほどを数えるまでになります。それまでのプリントを束ねた『林業経済研究会会報』が、今に続く冊子状の体裁に変更されたのは1960年8月発行の50号からです。このころになると、創立当初の熱気は少し落ち着き、春と秋の大会、中集会と年数回の例会の形が整いました。1964年には会員数が359人へと急増しました。
1978年に林業経済学会へと移行します。この移行は組織体制の大きな変更を伴うものではなく、〈林業経済〉研究会を〈林業経済〉学会とした会の名称変更を主とするものでした。一方、組織体制が大きく変更されたのは、1995年に編集委員会、1998年に理事会が設置された30年前のことです。東京近郊の会員が主に担った幹事会に代わり、理事会は全国の会員によって運営されることとなり、現在に続く仕組みが出来上がりました。
1970年代半ばに一度300人を割った会員数もその後回復し、最近の会員数は400人前後で推移しています。これまで、大学、研究機関の職業研究者だけでなく、行政や産業などの実務者も広く参画してきました。会員の学問的バックグラウンドは森林科学に限らず、文学、経済学、社会学、法学など多岐にわたります。発足当初、一人もいなかった女性会員も増えました。とはいえ、今なお、ジェンダー問題は学会の研究、運営のいずれにおいても大きな課題と言えます。
創立時の1955年に話を戻しましょう。以前に書いた拙稿の中で、1950年代を民主主義と科学技術の時代と呼んだことがあります。アジア・太平洋戦争下に世の中を覆った全体主義と精神主義の悲惨な末路への反省から、生き残った人々は新たな時代を民主主義と科学技術に託しました。その際、戦時中の政府に対し唯々諾々と従った自戒から、個々人の判断に立脚する科学的な経済合理主義は時代の象徴でした。
経済合理主義の精神は林業界も席巻します。国有林野経営規程が1948年に抜本改正され、法正林保続を目的とした技術主義から国民福祉増進を図る経済主義への転換が図られました。あるいは、拡大造林政策の起点ともいえる1957年の国有林林力増強計画は、林木育種、航空写真、統計的調査法などの新たな科学技術をベースにして、やはり合理的経済計算に基づき実行されました。こうした時代の空気は、1955年創立の林業経済研究会の名称にも大きく影響を与えたことでしょう。
その後の社会経済の激動の中で、国有林の経済主義も拡大造林政策も大きな壁にぶつかり、転換を余儀なくされたことは衆目の認めるところです。林業経済研究会/学会の先人たちは、70年間にわたり、目まぐるしく変わる時代時代に真摯に向き合ってきました。カール・ポランニーやジョージェスク・レーゲンを持ち出すまでもなく、経済が自然や社会と独立では存在しないものであるならば、その複雑な結び目の一つといえる森林や林業、そして人々が森林と関わりつつ日々暮らしを営む地域社会はどのようなものとして捉えられるか、そして、その在り方について、いかに展望できるか。人文・社会科学の知をたずさえて現実と格闘し、今日も、そして、これからも考え続ける学会であればと思っています。
2025~2026年度 林業経済学会会長 山本 伸幸
歴代会長(1998年度の学会運営体制の変更以降)
2023~2024年度会長 佐藤 宣子
2021~2022年度会長 古井戸 宏通
2019~2020年度会長 堀 靖人
2017~2018年度会長 枚田 邦宏
2015~2016年度会長 柿澤 宏昭
2013~2014年度会長 土屋 俊幸
2011~2012年度会長 志賀 和人
2009~2010年度会長 永田 信
2007~2008年度会長 神沼 公三郎
2005~2006年度会長 餅田 治之
2003~2004年度会長 石井 寛
2001~2002年度会長 堺正紘
1998~2000年度会長 笠原義人