第22回 研究会Box:【対論シリーズ第四弾】ガバナンス論の地平ー森林からの二つのアプローチー(統合的な野生動物管理システムの構築プロジェクト 第16回 公開フォーラム)

日時:2011年10月28日(金) 14:45-17:45
場所:東京農工大学農学部 第1講義棟-25教室

趣旨:自然資源管理、地域資源管理、さらには地域づくりを考える際、地域ガバナンスあるいは地域環境ガバナンスが重要であるという指摘が一般的になりつつある。しかし、では「ガバナンス」とは何かと問われると、その答えは必ずしも一致しないというのが現在の状況だろう。ガバナンスの概念の共有と、それを踏まえたより実態的なガバナンス論の展開が求められていると言える。
 今回登壇願う柿澤氏と井上氏は、大まかにいえば森林政策学あるいは林業経済研究という枠組みの研究者と括ることができるが、そうした枠組みを超えて研究活動を続けてきた。そして、両氏の研究成果は広く受け入れられ、日本におけるガバナンス論を主導してきたと言える。しかし、その内容を見ると、両氏のこの問題へのアプローチはかなり異なる軌跡を描いている。柿澤氏が、アメリカ国有林の市民参加制度に端を発し、欧米各国の自然資源管理の制度と実態の分析を通じて言わば市民参加論的ガバナンス論を深めてきたが、最近はガバナンス論の限界を指摘し「ガバメント論」の展開を主張しているのに対して、井上氏は、カリマンタンにおける熱帯林の住民による管理、つまりコモンズの研究を通じた知見から始まり、東南アジアにおける森林資源管理の分析から、近年は協治論としてより精緻な議論を展開してきており、言わばコモンズ論的ガバナンス論を進めてきたと言える。
 こうした中で、今回の「対論」においては、両氏の現時点での自然資源管理、森林資源管理に関わる考え方を、ガバナンスという概念を参考にしつつ、率直に語っていただき、また相互討論を通じて、その更なる発展へのきっかけを作っていただきたいと考えている。
 刺激的な熱い議論を期待したい。

■問題はガバナンスなのか、ガバメントなのか?
 柿澤宏昭氏(北海道大学院農学研究院)

 昨年森林・林業再生プランの検討に参加して改めて強く感じたのは、日本における森林行政の脆弱さと、現場森林管理を担う専門的人材(フォレスター)の欠如であった。森林管理の公共性を担保し、森林を含めた自然資源を基盤とした循環型社会の構築するために森林ガバナンスに関する研究を行ってきたが、そこではガバメントからガバナンスへ、専門家の手から市民の手に、というガバナンス研究に共通する課題意識があった。しかし、森林に関わってはそもそものガバメント機能、専門家機能が発揮できていないことが問題なのである。
 まず構築しなければならないのはガバメントの再構築と専門家の育成であり、これら森林行政官・フォレスターによる地域森林管理の再構築である。また、ここでは地域森林管理の立て直しに努力する森林行政官・フォレスターのネットワークを形成し、相互学習・支援を行いつつ、地域森林管理の再構築を進展させていくことが求められている。
 こうした基盤が形成されない限り、森林ガバナンスの構築は「ニッチ」の動きにとどまらざるを得ず、基盤再構築なしにガバナンスを推し進めることは問題の市民への押しつけになりかねない。
 課題意識を持った森林行政官・フォレスターが地域森林管理を再構築しようとすれば、そこには所有者・事業体、さらには地域住民や消費者との関係を再構築せざるを得ず、そこに日本における森林ガバナンス展開のカギがある。

■協治論の諸側面から森林ガバナンスへ挑む
 井上真氏(東京大学大学院農学生命科学研究科)

私の考えでは、日本でも熱帯諸国でも「地域」森林管理において行政は2つの重要な役割を持っている。一つはコモンズ論でいう “constitutional rule” (多様な利害関係者のコミットメント可能性の枠組み)を設定する役割である。もう一つはグリーン・セーフティネットの担い手としての役割である。そのうえで、今回は「協治」(=協働型ガバナンス)の持つ諸側面から、いま私が考えている課題(疑問)を提示し議論したい。
 第一は「資源管理論/所有論」としての協治論である。吉田民人の「社会的制御能」の概念を援用して対称的な「閉鎖型コモンズ(入会制度)」と「開放型コモンズ(グーグル・ブック検索)」を比較検討した結果、「主体」と「排除性」の重要性が認められた。森林管理において誰を排除することが正当性をもつのであろうか。コモンズ論の3レベルでそれは異なるのではないか。
 第二は「コミュニティ論/市民社会論」としての協治論である。概念枠組みとしてコミュニティとアソシエーションとを分けて考えると、協治は「基盤としてのコミュニティが、市民(外部者)によるアソシエーションとの協働により資源管理を行う社会制度」と再定義される。では、コミュニティがすでに弱体化した場合、3つの戦略のうち「順応戦略」を選択し、最後は無人化して公的管理に任せる道しかないのか。
 第三は「公共性論」としての協治論である。協治論は内部の主体(アクター)と外部からの多様な主体とによって創出される公共性として捉えることができる。この場合、協治の関係者はより広い社会構成メンバーから自己満足と誹られるのか、あるいは公共性の担い手として評価されるのか。

【お問い合わせ】
 東京農工大学農学部付属フロンティア農学教育研究センター
 野生動物管理システム実施推進室
 E-mail: yakan[at]cc.tuat.ac.jp
 後援:林業経済学会

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